コミュの皮を被った非コミュ

大阪から東京に拠点を移すに際して、友達から「送別会やろうとかいってる」という具体的な話とか、「具体的な日にちがきまったらおしえて」と、サプライズパーティを暗示するような質問がちょくちょくきた。
「まだ未定」とお茶を濁していた(実際にわからなかった)が、そろそろ現実的な日程が見えてきた。どうするべきか悩んでいる。
ここ1〜2年ほど、いろんな場所で友達のサプライズパーティとか結婚祝いとかいろいろ誰かを祝うイベントをやった。俺が祝ってもらったことはなかった。特にそんなイベントもなかったし。むしろ、自分は誰かに祝われるような人間ではないし、そんなおこがましいことを、と思っていた。今でも思っている。だから、現状に戸惑っている。
さらに自分にとって都合が悪いのは、本当に「自分が祝われるような存在ではない」と確信しているなら、そんな疑念なんか抱かないはずで、現実ではそうではなく、誰かを祝うたびに、仮にもし今度自分が祝われるようなことがあれば、と想像してしまい、なおさら自分のさもしさに幻滅する。
私は本当にKYなので(一応自覚はしている)、できるかぎりそういう場では喋らずに、裏方作業に徹するようにしている(もしかしたらそれもKY的所業かもしらん)。とにかく、自分のせいで善意ある他人の気分を害することだけは避けなければいけないと心している。調子に乗って変に喋るととたんに場の空気を乱してしまう。それが自分が主役なんぞになった日には、それこそみんなを最悪の気分で帰すことになるんじゃないか? という恐怖感がものすごくある。俺はパーティーの隅にいればいい、俺のつたない助力でみんなが少しでも楽しんでくれるならそれでもう十分だと思っている。
誰かが俺を祝うための企画をしてくれている、と思っただけで感極まって泣きそうになった。もう十分おなかいっぱいです。もしかしたら全部深読みの妄想かもしれないのに。愚かしいにもほどがある。
でもこれではだめだというのもよくわかっている。これは超えないといけない壁なんです。他人の好意を上手に戴くことができるのもコミュのスキルなんです。俺は多分サービス精神は旺盛だし他人にサービスするのは得意だけど、他人にサービスされることに慣れていない。これでは片想いである。はやく両想いになれるように努力しようと思う。