俺漏れも1984年生まれの幼稚園〜小学校のころの記憶をだらだら語るよ

http://d.hatena.ne.jp/gensyokuneon/20080619/p1
過去の特に強い記憶だけを元にとりとめなく書こうと思うので時系列が前後するかもしんないし間違ってることもあるかもしんない。


大阪万博じゃなくてたぶん花博でした! ご指摘ありがとうございました〜


親につれられて大阪万博花博いった。人がめっちゃいた。ココナッツジュースが売ってて、ココナツそのままにストローぶっさして売ってたのを買ってもらった。日頃外にでかけてもジュースとかお菓子とかまったく買ってくれない親だったのでうれしかった。飲んだら不味かったので全部飲みきれなかった。日頃物を大事にするようにしっかりしつけられていたので子供心ながらものすごく悲しかった。
なんかアフリカかどっかのすげー模様のお面を売っていた。妹と1つづつ買ってもらった。俺は「金持ちになれるお面」を買ってもらった。妹は「美人になれるお面」を買ってもらっていた。現在、地主おねいにそっくりな妹にはお面の御利益はまったくないようだ


風邪ひいて幼稚園か小学校かを休んだ。リビングに布団ひいて寝てた。おかんが出かけるのでたぶん俺が寂しくないようにつけていったのか、俺が暇だったからつけたのか、テレビのニュースで壁こわしてた。歴史的瞬間です! とかいってた。


また別の時に風邪ひいて小学校休んだ。リビングに布団ひいて寝てた。(略)テレビの中で闇夜に曳航弾がいきかっていた。湾岸戦争である。


また別の時に風邪引いて小学校やすんだ。(略)テレビではバルセロナオリンピックをやっていた。


小学校低学年のころに異常に「愛は勝つ」の替え歌がはやっていた。


小学校ではただひたすらいじめられてた。俺も不屈のいじめられっ子だった。どうやったら帰りにリンチにあわずにすむかとかものすごく頭を回転させるようになった。あ、今日帰りにリンチされるな、ってのは聞き耳建てたり、様子をうかがってるとわかるんだよね。違う門をくぐって帰ったり時間をずらして帰ったり、時には別のいじめっ子にボディーガードをしてもらって帰った。学校内の、居残りして遊べる部屋によく行くようになった。漫画とか本とかいっぱいあったのでひたすら読みふけっていた。キン肉マンがあったけど金のマスク銀のマスク以降の巻がなかったのでその後の話を俺は知らない


ジャンプにはリアルタイムでドラゴンボールZが連載されていた。グレートサイヤマンとかのころに、団地の上の階のおにいちゃんに、読み終わったジャンプを回してもらっていた。切り抜きをホチキスでとめて、絵を描く資料にしていた。クラスにやたらうまい奴がいた。俺は漫画絵はへたくそだった。体育も苦手だった。音楽は得意だった。親が車の中でユーミンをかけたり部屋で童謡のレコードをかけてたくらいだけど。


親父が中国に出張にいって帰ってきたときのお土産は風呂で遊ぶ魚のおもちゃだった。


親父は食べ歩きが大好きで、特にラーメンが大好きだった。天天ノ有が一番のお気に入りでかなり通っていた。彩華、プノンペン第一旭、その辺が好みらしい。俺は辛いの苦手なのでプノンペンは中学くらいに一回食ったきりだ。


スーファミ買ってもらったのは小5くらい。本体より前にFF4を買った。あとはマリオ、FF5、きんぎょ注意報、クロノトリガーFF6スクウェア系はかなりやった。ドラクエはしたことがない。友達がファミコンでやってるドラクエをよこでみてたことはある。
格ゲーは苦手だったがくにおくんはみんなでよくやった。ガンプラ(といってもSDばっかり)もやった。SDガンダムは異常にはやってた。カード出すもよくやった。穴をのぞくと微妙にぶあついのがヘッドだったので機械が見える範囲でだらだらしてて誰かが買って行くのを待っていた。あとはミニ四も流行ってた。小学校高学年にmなって1ヶ月のお小遣いが300円から500円になったので一応新発売の車を買うことはできた。値上げのときにはクラス中に戦慄が走った。


ポケモンももちろんやった。ミュウツーにどくどくを覚えさせるという鬼畜技を編み出して無敵だった。シャワーズに氷系のわざをぶちこむのもかなり強かった。このころは「友達が行ってるから」という理由で塾に行ってた。効果があったかどうかは覚えていない。そもそも小学校では成績はトップだった。小学校の頃は塾にピアノに水泳にと習い事のオンパレードで学校が終わった後に家でだらだらすることもできなくて、怠け者の俺はたびたびサボったりやめたり入ったりしていた。うちのおかんはまじめすぎるので俺がだらだらしていてもむりやりつれていくので俺はすっかり自律ができない子供に成長してしまった。


物心つくまえから親父のPC-8801MkⅡをさわっていて、当時は親父の膝の上でフルーツパックンとかをしてただけなのだけど、小6くらいから自分一人でさわるようになった。はじめてエロゲーをさわったのはこのときで「温泉みみず芸者」という奴だった。あほすぎる。デゼニランドをはじめ当時の有名なゲームはほとんどやった。親父の買いだめしていたPOPCOMがあって「俺たちマイコン族」を読んで初めてプログラムを知った。最初の頃はコードには興味を示さなかったけど、そのうちROM-BASICで遊ぶようになった。結局最後までDISK-BASICはさわらなかった。粗大ゴミに出てしまって死ぬほど後悔している。MSASMとかMSCとか書かれた5インチフロッピーもあったのだが当然当時は意味がわからなかった。(一応興味は示したので中を見ようとはしたものの)


幼稚園〜小学校のころはマルコメみそのモデルみたいな子供だった。たぶん大人からみればかわいいんだろうけど当然同級生の中ではまったくもてなかった。自分でも「ブサメン」とは思わなかったが「イケメンではないなにか」とは認識していた。チベット人の子供みたいな顔だった。


保健委員をやっていた。休み時間は保健室に溜まってはけが人にヨードチンキを塗っていた。誰も来ないときはひたすら保健室の本をねめっていた。ちなみに保健の先生は森田先生というおばちゃんであって色気などはなにもなかった。保健室で色気を感じた経験なんていうのは、高校で遅刻して登校したら(俺は遅刻が大幅すぎてもはや門に立つ先生すら撤収した後に登校してくるのだった)体育をやっていてめんどくさかったので2時間目から出ようと思って保健室で寝かしてもらっていたら、同じ演劇部の同級生である椎名林檎みたいに微妙な美人で椎名林檎の歌詞みたいに怠惰でフリーダムなえりちゃんが同じく遅刻してきてせんせー2時間目までねかせてくださいっつって隣のベッドに陣取ったときぐらいだと思う。どうかリアルばれしませんように。彼女の椎名林檎からエロを抜いたようなセンスの脚本と彼女の演技力のおかげでうちの弱小演劇部は2年連続で府大会進出というありえない快挙を達成したので俺の名前とかから調べていくといろいろばれるので調べないでください。まあ誰も頼まれたってそんなことするやつはいない罠。彼女は最近(たぶん絵の勉強のために)単身ドイツに渡ったらしい。生きてるうちにもっぺんくらい顔みたいなあ。今までの20年ちょいで一番「手の届かない存在」みたいなのが彼女だった。何の話してんだっけ、なんで俺何かについて書いてたら必ず脱線するんだろうね