IQいらないからだれかQIしてくれ

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080508/1210268430
自分にも半分くらい当てはまるのですごく共感した。

俺は自分の正確なIQを知らないのだけど、小学校入学前(それが3歳か5歳かは覚えてない)に親に連れられてIQテストを受けたことはある。そのときは俺は結果を見てないのでわからないけど「小学校3年生くらい」ということだったので5歳ならIQ200かもしらん。

id:shi3zさんみたいにそこまで病理的ないいぐさではないけど「お前は賢い」と延々親にきかされて育ったし、実際に小学校のころはテストの成績も常にトップで、自分は超賢いと思い込んでた。周りも俺をめっちゃ賢いと思ってた。中学に入るとすげー賢い奴がいてちょっと身の程を思い知った(宮沢雪之そっくりの超勉強できる女の子がいて彼女は今国立大学で脳か遺伝子かなんかの研究をしている。この差はどうよ)。それでもまだ俺はすげー賢いしやればできるやらないだけだと思ってた。中途半端に賢いっていうのは一番困る。文系教科の授業は授業中に先生の進めている部分と関係なく教科書をマイペースに読んで、なおかつ先生の講義を耳で聞いているだけで学年トップがとれた。ノートは一切とらなかった。その代わり数学は中2の頃には0点に近かった。塾に行くようになってまた全教科学年トップレベルになった。でもノートとってなくて平常点が壊滅的に低かったので一応進学校である中の下の方の高校に行くことになった。やはり中途半端である。
高校でも同じことをした。ただし高校では留年があるので内心穏やかではなかった。ただしこのころにはちょっと考えが柔軟になっていた。対して勉強に価値を見いださなくなっていた。賢い != 勉強できるという考えを持った。これは間違っていないが当時の自分に言うとすればただの逃げである。相変わらず国語のテストは学年トップだったが平常点マイナスという恐るべき評価をしてもらった。なんせ授業中に堂々と机にうつぶせで熟睡していた上に怒った先生が問題を当てるとすらすらと答えていたんだから。寝ながらでもしっかり先生のしゃべっている事は聞いていたのである。片道1時間の自転車通学で体は疲労+授業という外的刺激で頭は冴え渡っている、という環境のおかげで金縛り癖がつくようになった。まだそこまで到達したことはないけど、明晰夢を見てみたい俺としては僥倖である。
文筆業になりたくて大芸大に行こうとしたが親と喧嘩して願書を破り、結果として「鬼畜王よりおもしろいSLGを作る」という野望のもと専門学校に行き、何を間違ったかプログラマになってしまった。いずれ萌え技術本のシャドウライターになる予定だ。本当ならすでに本が一冊出ている予定なのだが知っている人は知っている例のごたごたで流れてしまった。しかしそのほかにも伝手ができたしいずれなにかいい題材があれば一冊くらい奏上してやりたいと思っている。何の話やねん。
今ではすっかりただの素人プログラマでかなり変人扱いされていて非モテのブサメンキモオタである。その上親には「あんたってEQ低いよね」と言われるしまつである。
IQいらないからかわいいおねえちゃんからのQIがほしい。

ちなみに幼児期のIQって成長すると結構変動するらしいよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0#.E6.AD.A3.E7.A2.BA.E6.80.A7

恒常性
同一人物のIQは、一般的には成長しても低年齢時とあまり変わりはないとされている。たとえば1948年にアメリカのホンジックが行った研究では、222人の被験者を対象に6歳時と18歳時のIQを比較した(文献によっては、1歳時と18歳時となっている)が、50以上変化した例は0.5%で、30以上変化した例は9%であった。しかしながら、20以上変化した例は35%で、10以上変化した例は85%であり、ある程度は変動するものだということができる。また、狩野広之による1960年の研究では、小学校1年から中学校3年までの児童生徒を対象としてIQの変化を調べたが、「小学校1年生時点のIQはそれ以降大きく変わるケースが多い」ということと、「小学校3年生以上では、IQの変化はかなり少なくなってくる」ということが分かった[4]。

大きな事件があった場合や、深い悩みがあった場合などはIQが大きく変動する。「病気」・「父の復職」・「非行」・「競技での成功」・「過保護」・「人種的な悩み」・「体重・容貌の悩み」などの要因で、IQが大きく変動するとされている。

一部では、IQは生涯不変の神秘的な数値(マジックナンバー)であるという誤解があるが、学力検査ほどではないにせよ、変わりうるものである。また、当然ながら知能検査の種類によっても変化する(#相関で詳述)。

俺が幸運だったのは、たぶん最初のインパクトがid:shi3zさんほど強烈でなかったのと、id:shi3zさんほど責任感もなく快楽主義者だった事だと思う。特に社会に出てからなんて正味で自分の10倍は賢いんじゃないかって人がごろごろしている。ネットを見れば100倍や1000倍くらいちがうんじゃないか。まさにプログラマ1000倍説である。自分の無能、というより自分のやる気のなさを十分認識した。正直、自分がそんなに無能でないのは知っている。やらないだけだ。そしてそれは社会で成功するために一番重要なファクターである。「俺はやればできる」と思っているニートはおしなべて正しい。ただし足りないのは「やらないからできない」という一文を付け加えることだ。
昔は自分が賢くて当たり前だと思ってたし、他人に「いずたにって賢いねえ」と言われてもフフンあたりまえだろハゲと思ってた。今は他人に評価してもらえると本当にうれしくなれる。

ちなみに俺は仕事で未踏プログラマが書いた、仕事のためのコードではなく自身のプロジェクトのために書いたコードを保守したことがあるんだけど、正直死ぬほど汚かった。設計もだいぶ頭おかしかった。今では飲み会のいいネタになっている。その代わり勉強になる部分も沢山あった。どんなコードからでも勉強になる部分を見つけ出せる俺は本当にラッキーだ。結局のところ天才と言われている人間のほとんどは常人があきらめてしまう領域をばりばり突き進めるだけのマッスルがあるかどうかにつきると思う。だからゾーンにいるときのプログラマはみんな天才なのだ。とにかく俺は幸せだ。俺が口八丁な人間だからだと思うけど、