よそはよそ、うちはうち

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絶望など永遠に、とは言い過ぎだが、数十年数百年は訪れないでしょ。江戸時代の農民への生かさず殺さず政策を見れば貧乏人の未来が分かるよね。
貧乏人は貧困をごまかし、慣れ、なんとか生きていく。やばそうなら足掻き、なんともならなければ死ぬ。少なくとも今現在、俺の周りの同い年の貧乏人はそうしている。俺だって間違っても金持ちと言えるような経済力はないが、フリーターなんかから見れば憎らしいほどの金持ちなんである。
そうやって多くの若者が貧困スパイラルに陥る中、着々と富を築く若者は存在するし、大金持ちならずとも、不況であれ特に仕事にも困らず、金にも困らない若者も大勢いる。仕事はいくらでもある。結局、苦しい思いをして金を稼ぐか、金を稼がず貧困に沈むかという選択肢に過ぎない。ただ、今はそういう状況だが、今後どうなるか知らない。10年後には、たぶん貧乏人が這い上がるのはずっと難しくなっているかもしれない。這い上がっておくなら今は凄く楽な状況、これはたぶんそうだろう。
俺は幸いにも手に職があり、仕事にも金にも大して困っていない。車だってあるし服も買える。月収10万のフリーターと比べると大変な贅沢者である。俺はただ貧乏は嫌で、美味い飯も食いたいし、車も好きだし、楽しく仕事をすることができるので、たまたまそういう位置に立てているだけである。
たぶん、どこかで足るを知る奴が一番幸せなんじゃないの? 統計によると、財産ってうん千万かうん億あたりからはみんな麻痺しちゃって、それ以上儲けても、幸せを感じる脳内物質の分泌が減ってくるんだそうで。そういう奴らは稼いでも稼いでも不幸なんだよね。
年収1億あってもぜんぜん幸せを感じられない日々を送ってる不幸な奴より、年収300万でも毎日楽しいほうがいいじゃん?
今の日本は完全に資本主義が蔓延っているので、すぐ金額の話ばっかりするけどさ、問題はそこじゃないと思うんだよね。「若者が希望を云々」ていうのは「若者が幸せじゃない」ってことじゃないの? で、対照として老人がほとんどの金をガメてるっていうのが言われてるけど、その老人どもは幸せなのかなあ? 若者の何百倍もの金を持ってる老人が、若者の何百倍も幸せというのはたぶんありえないよね。だから俺を含め若者どもは、「いかに自分が幸せに生きていくか」を考えるのがいいんじゃないかなあと思う。少なくとも、先進国にあってもっともレベルが低いであろう日本の政治家はそういう事に一切感心がないだろうから、自分と自分の周りから幸せにしていくしかないよね。やっぱブータン国王は偉大だよ。GNH(国民総幸福量)。
そういうわけで、最近の俺は、闇雲に稼ぐっていうわけでもなくて、稼ぐ金額と、自分が得られる経験(プライスレス)と、遊べる時間(プライスレス)と、そのへんを天秤にかけて仕事をするようにしています。たぶん、自分の満足できる金額が稼げるようになったら、あとはいかに働く時間を減らすかがポイントじゃないかと思う。
自分が十分満足できる金額を稼げるだけ働けば、たぶんおおざっぱに社会奉仕の定量化ができるんじゃないかな。その上で働く時間を減らすということは、より少ない時間で多くの社会奉仕ができるってことだよね。
俺が余った時間で何やってるかというと、友達と呑んだり、アキバでフィギュアとったり、脳内彼女とセックルしたり、ウェブサービス作ったりしてるわけだけど、たぶんそれも全部社会のためになってるよね。たぶん俺の行動で特に重要なのは趣味でウェブサービス作ってることで、これは不特定多数の人をちょこっとだけ幸せにできてるんじゃないかなあと思う。仕事というのは金銭と交換で誰かをちょこっと幸せを与えるわけで、結果、お客さんは払った金銭よりも幸せのほうが多いなあ〜とか、払った金銭にしては幸せがたりねえなーとか色々あるでしょうが、それとは別に俺が勝手に作ったウェブサービスを勝手に使って勝手に幸せになってくれる人というのがいるわけで、これはもうどうしようもなくうれしいことだよね。
なんか色々まとまらないけど、俺は昨今そういう風にして生きています。日本が格差化しようが貧乏な若者が蔓延ろうが関係ないなー、俺が自分の幸せと他の人の幸せを求めて生きていく以上、特にぶれることもないなーと思っています。