転職するしないに関わらず、自分の価値を日頃から見積もっておこう

http://www.insightnow.jp/article/938
私が最初に就職したのは4年前で、1年半いた。
半年は日給1000円、次の半年は時給900円、次の半年間は正社員で年俸240(ボーナスなし)だった。
ぶっちゃけ安い上に最終もしくは泊まりも辞さない毎日という激務であり、ブラックもいいとこだったのだけど、正直あまり気にしていなかった。つーか遊びに行く暇がなかったので交際費が限りなくゼロだったのと、たまに暇ができるとHTMLとPHPで遊びながらしこしこ作っていたホームページのアフィが毎月5〜10万くらいあったので貯金は毎月コンスタントに貯まっていた。
私が我慢できなかったのはIT土方の仕事であった。そこはIT総覧に載っているような、一応中堅〜大手に属する規模のSIerであるが開発力は最底辺に近く、社員あたりの売上高を見ても地を這うような企業であった。地下鉄の駅から先方までは完全に地下を介してたどり着き、窓には常にブラインドがかかっており私の席はビルの内側だったため外は全く見えず、VSでのASP.NET開発のために私に与えられた機械はWindowsXP, Memory256というものであった。
多分http://www.hitachi.co.jp/Prod/comp/OSD/pc/flora/prod/note/flora220wns3/index.htmlこのあたりだったきがする
開発していたのは当時はまだ珍しかったC#であったのだが、元々プロマネだったやり手SEさんが得意なC#でやるぜ! とプロジェクト開始したのはいいものの即刻病気で倒れ、瞬く間に炎上したという代物であった。プロジェクトの規模は300万見積もりだったものがまたたくまに3000万に膨れあがっている状況であり、C#が得意というだけで面接に連れて行かれ突然「オブジェクト指向の特徴は?」と聞かれた私は、異常に本番に強いおかげで、今振り返ると当時まっとうなクラス設計能力もなかったにもかかわらずなぜかつまりもせずすらすらと答える事ができたために即採用となってしまった。
とりあえず表面上はC#ばりばりの私は最初は1画面、2画面と触っているだけだったがそのうちフロントエンド全てを担当するようになり、その上ビジネスロジックOracleのストアドまでいじるようになったためとうとう私が一番システムを把握しているという状況になってしまった。弱冠20の私は先方の新入社員よりも若かったのだがそもそもプロジェクトチーム内で一番働いており、最盛期には月300時間オーバーを達成するに至った。
別にそのことそのものは大して気にしていなかったのだが、前述したような開発環境の悪さ、休日出勤、夏にもかかわらず土日・定時後に切れる空調(警備員さんがあまりのひどさに同情してこっそり空調をつけてくれたことさえあった)、定時でさっさと、しかもPCをつけたまま帰宅する社員、自分の知識のなさによる無力さ、その他によるストレスは大変なものだったらしく、当然生活リズムは乱れ、遅刻もちらほら見られるようになった。勤怠が最も重要視されるIT奴隷業界にとってこれが致命的であることは間違いなく、週1で遅刻するようになるとさすがに先方の上部で会議がもたれ、クビを通告されることとなった。
あーあやっと離れられるぜちきしょーめと思うや否や、「やっぱりクビ撤回するから続けてくんね?」という連絡が入り、プロマネに話を聞いてみると「ki2nekoくんいなくなると確実に回らないからなんとか説明して残してもらえるように頼み込んだらなんとかなったよ」とのこと。なんだといらんことしやがってまじすか有難うございますと続けることになったが、日中にも幻覚幻聴を覚えるようになり、仕事中にトイレで仮眠をとるような勤務状況であったので生産性も上がるはずがなく、幸いであったのは私の担当するフロントエンドに関してはほぼ完成しており、開発形式が比較的自由だったため(つーか単に技術力がなかったからだろうが)コーディング規約もなく、当時の俺のような技術力のカスもないような人間の提案がスカスカ通る現場だったため、カスであった俺未満の正社員が作った死ぬほど重いUIコンポーネントなんかのリファクタリングに日々いそしむような状況で、だいぶ余裕があり、

つづきはまたかく